アンタのそういう所が嫌いだ 前編

画材屋の帰りだった。手始めにスケッチブックと鉛筆と水彩絵の具を買い、水墨画と油彩の画材の輸送を頼んだ。
その画材屋の話によると、絵描きをする者の大半はそれだけでは生活が出来ないため個人の画廊は持たず共同の画廊で絵を披露するという。
後の商売敵の偵察も兼ねて画廊を尋ねると、その絵巻物があった。
誰が描いた物かもわからぬそれは画廊の奥にこの世界で最も古くに描かれた物として芸術品というよりは歴史的資料として展示されていた。
またそれは、20年以上前に回収したはずの『同じだけど違う』ものだった。
奇遇なことに桜の描かれたそれは元は生計を立てるために描いたものだ。人の手へと移り続け、回収する以前は彼が持っていた。
「…そんなに桜が好きか」
「何か言いましたか?」
「………どうでもいい事だ」
咲き誇る枝に立つ『同じだけど違う』彼を見てまず出た言葉はそれだった。
「まさか本当に引き寄せられるとは思ってませんでした」
「『描き手のわからぬ絵巻の元に必ずそれは現れる』」
「御自身で流した噂でしたか」
「…前にどこぞの馬鹿が意外に有効だと証明してくれたからな」
「そうでしたか」
「多少は流れで察しろ貴様」
『同じだけど違う』が、『違うけど同じ』。ただ今回は同じだったというだけだ。
「『この』僕じゃ干渉しても意味はない。消えろ。不愉快だ」
「ここの僕も相当嫌われているようですね」
「どこの僕でもそこだけは変わらない」
詳しい事情は知らないが、そちら側でも軽く命のやり取りくらいはしているのだろう。足元に及ぶか否かは別として。
「そうですか…あながち『運命』は馬鹿に出来ませんね」
「黙れ四十路」
「三十路にもなってません」
そういえば『違う』彼だったと思い出した。


東京BABYLONの前辺りになんかあったらしい。まあ銀狐だしいろいろあるだろということで星史郎さんツバサ桜都国編。頭と後書きが長かったのでぶった切り。(それどうなの)
そもそも蓼科だから命を狙ってきた人間を好きになれる程の度量は持ってないけど(あの人達はとにかく自己愛が強い)、高嶺なので余計に単純明快に凄く嫌ってる。そしてこの様子だと弥江絡みです。命のやり取りといえども蓼科が適当にあしらって終わってそうだし。
バビロンやXと『同じ』とは限らないというのを忘れそうになってた。(というかこれはどう考えても違う)画風が全然違って年齢の比べようが無いんで適当に三十路前にしたけどよかったんだよね?(ここは妙に30代が多いサイトです)
企画の絵巻物とセットにする予定。向こうが前こっちが後。(順番逆だよ)星史郎さん、蓼科ということで見事に桜繋がりなんだけど全然関係無いです。蓼科側は4人山に生息で2人別方向で3人そこら辺だし。(名前の元が)

2006年5月中


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